Hariko Culture ? Since 1793
創業から
受け継がれる
張り子文化
江戸から続く魂と技を、現代へ。
山縣友五郎が一人で始めたその志は、
二百余年を経た今も変わらず生き続けています。
Est. 1793 ? Gunma, Japan
高崎だるまの
生みの親
山縣 友五郎
高崎だるまの歴史は、一人の男の志から始まります。 寛政5年(1793年)、上豊岡村に生まれた山縣友五郎。若き日に武州へ人形職人の修行に赴き、 江戸で流行した疱瘡避けのお守りとしてのだるまと出会いました。
郷里に戻った友五郎は自ら工夫を重ね、病避けを願い張り子のだるまを作り始めました。 文政12年には田町初市でだるまが売られる様子が版画に記録され、 やがて高崎・豊岡は「だるまの里」と呼ばれるようになります。
山縣友五郎、上豊岡村に生まれる
江戸修行を経て、高崎でだるま作りを開始
田町六斎市初市でだるまが売られる様子が版画に残される
友五郎、69歳で逝去。遺産は現代まで脈々と継承される
碓東達磨製造協同組合(現・群馬県達磨製造協同組合)発足
▲ 田町の初市(文政年間)『高崎談図抄』より
▲ だるまの絵付けをする女性
▲ 蒸気機関車とだるまの乾燥風景
▲ ブルーノ・タウト(Bruno Julius Florian Taut、1880?1938)ドイツの東プロイセン・ケーニヒスベルク生まれの建築家、都市計画家。鉄のモニュメント(1910年)、ガラスの家(1914年)が評価され、表現主義の建築家として知られる。
▲ ブルーノ・タウト(1880年5月4日?1938年12月24日)
▲ 高崎だるまに自ら筆を入れる
受け継いだもの
「模倣をしない」
タウト先生〜水原先生から受け継いだものの一つに、「模倣をしない」がありました。これについては、タウト先生の著書の中でも強く非難しています。
? ハリコイズム 弐よりドイツ表現主義の建築家ブルーノ・タウト(1880?1938)は桂離宮を絶賛し、 過剰な装飾で本質を覆い隠すことを厳しく批判しました。 その精神は水原先生を介して、一千乃の張り子哲学へと流れ込んでいます。
約300年の歴史を持つ高崎だるま。現代の住空間が変化し続ける今、 私たちは問い続けます??変えるべきものと、変えてはならないものは何か。
- 縁起物としての祈りの力
- 張り子の技術と素材感
- 手作り・手描きの温かみ
- デザインと彩色の革新
- 現代の住空間への適応
- 新しい縁起物の提案
創造の
バックボーン
もっとかわいい、見てホッとする、思わず手に取ってみたい縁起物があっていい。 それが私たちの出発点です。
購入してくださるお客様、販売店さん、そして企画・製作に携わるすべての人が 「笑顔をつくる」こと??これがすべての仕事の中心にあります。
すべてのものは 自分の表現
もの買って来る 自分買って来る
美を追わない仕事
仕事の後から追って来る美
道を歩かない人
歩いたあとが道になる人
出展:河井寛次郎語録「いのちの窓」より
令和のハリコイズム
江戸から200余年を経て、張り子の魂は群馬・高崎から全国へ、そして世界へ。 株式会社一千乃は伝統を受け継ぎながら、令和の時代にふさわしい新たな縁起物を生み出し続けています。
ハリコオンライン
干支張り子・はりこーシカ®シリーズをはじめとするオリジナル縁起物を全国へお届け。
ショップへ → COLOR ME SHOP AWARD地域賞・日本文化奨励賞受賞
伝統と革新を融合させた現代の民芸として、カラーミーショップ大賞 地域賞・日本文化奨励賞を受賞。
受賞ページへ → OEM / Originalオリジナル・OEM製作
企業ノベルティから地域振興品まで。張り子の技術とデザイン力を活かした製品を提供。
コーポレートサイトへ → SDGs持続可能な物づくり
ベトナム工場との連携、環境保全活動を通じて、未来へ続く張り子文化を実践。
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