高崎だるまの歴史
高崎だるまとはTAKASAKI DARUMA
形全体が丸みを帯びて、ふくよかな感じのする高崎だるま。別名「福だるま」「縁起だるま」。
高崎だるまの特徴は、眉毛は鶴、髭は亀を表現しています。
お腹には「福入」、両肩には「家内安全、商売繁盛、大願成就、目標達成」などの願いを込めて金文字が書かれています。文字が書かれているだるまは全国的に見ても珍しいものです。
高崎だるまの歴史HISTORY
高崎のだるま作りは、今から二百十数年前、
豊岡村の山縣友五郎が始めたとされています。
稲の収穫や麦蒔きが終わった、秋から翌年の春にかけて作られていましたが、友五郎が始めたころは、色塗りに使う材料が簡単に手に入らないなどの理由で、生産量は少なかったようです。1859年の横浜港の開港で、だるまの生産が盛んになっていきます。海外からスカーレットという赤の顔料が輸入されるようになったからです。
鮮やかな赤色が印象的な、
高崎市民になじみ深いだるま。
だるまの広まりは、江戸で疱瘡(天然痘)という病気が流行したことに由来します。当時の庶民は病を恐れ、しばしば願掛けを行っていました。赤いものが邪気を払うと信じられていたため、赤く塗られただるまが疱瘡除けとして求められるようになりました。流行時には、子どもの枕元などに置かれていたと言われています。
高崎だるまが愛され続ける理由Reasons to continue to be loved
七転び八起き、開運・福だるま
養蚕農家の多かった北関東では、
養蚕の大当たりを祈願するため、縁起だるまを守り神として祀るようになりました。
やがて一般家庭へと広まり、さまざまな願かけが行なわれるようになっていきました。
だるまが長い間愛され続けているのは、置物でもなく、飾っておくだけの縁起物でもなく、手を合わせる対象であるからです。そして、目標を達成するための向上心を常に高めてくれる存在だからなのです。